暮らしの視座 その1

賞味期限に思う

上野昻志


しばらく前のことですが、わたしが関わっている事務所で、忙しいときに手伝ってくれるバイトの青年の振舞いに、虚を突かれたことがあります。といいますのは、彼が、事務所にある小さな冷蔵庫を開けて、あ、こんなものがあると言って取り出した食品を、手にとって眺めていたと思ったら、なんだ、これ、昨日で賞味期限がきれてるじゃないかと、ポイとゴミ箱に放り込んだからです。

 

 オイオイ、それ、わたしがあとで食べようと思っていたんだ、と言ったところ、彼は、異なことを仰るとでも言いたげな顔つきで、こちらを見返したのです。だって、賞味期限なんて、2,3日過ぎたところで大丈夫だよ、と申しますと、まるで野蛮人でも見るかのような表情をします。そう、おそらく彼にとっては、せっかく食品衛生法で決められた賞味期限を無視するおっさんは、文明人失格と映ったのでしょう。

 

実際、わたしは、賞味期限を5日ぐらい過ぎた卵などでも、割ったとき黄身の形が崩れてなくて、色や匂いにも問題なければ、そのまま調理します・・・さすがナマでは食べませんが。他の食品でも、基本的には同じです。小さいときから、母の台所仕事を見て育ってきた習慣で、そうしているのです。やはり、わたしは野蛮人でしょうか?

 

食品に賞味期限が表示されるようになったのは、1995年です。それまで、食費衛生法やJAS法によって、長期保存がきく食品以外に製造年月日の記載が義務づけられていましたが、それでは、輸入食品は不利だという輸出元の国からの圧力などもあって、賞味期限にしたようです。わたしなどのような年寄りからすれば、たかだか20年前に決まったことじゃないか、と思いますが、若い人にとっては、生まれたときから当たり前のようにあったわけですね。となると、それを絶対視するのも無理はないのかもしれません。もちろん、そこには、食品の安全性ということもあります。

 

ただ、どうなんでしょう? わたしなどが親の代から、というよりは、親に到る遙か昔の先祖たちから、食べ物に対して、悪くなってないか、食べて大丈夫かということを、色や形や匂いなど、つまり五感で判断してきたわけです。また、そうでなければ、大仰に言えば、人類が今日まで存続しているはずはありません(笑)。むろん、その間には、食中毒による死ということもありました。
ですから、しかるべき検査に基づいて賞味期限を決めること自体は、一つの進歩であり、決して悪いことではありません。しかし、それを金科玉条にして、自身の五感を働かせなくなったということは、身体において生きている人間としての力が弱まっているのではないでしょうか?